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新声詩社(シンガポール)葛飾吟社交流会

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シンガポール新声詩社の皆さんと
左より現会長揚先生中山逍雀前会長張先生

千葉県 今田菟庵

  二○○○年四月七日 シンガポールの新声詩社と日本の葛飾吟社の交流会が シンガポールの中心街、オーチャード通りにある Dragon Pearl Restaurant(龍珠軒酒家)で行なわれた。

 新声詩社側の出席者は旧社長の張済川氏、新社長の楊啓麟氏のほか羅育祥、林坤遠、張兼嘉の諸氏および林芳鳳女史。葛飾吟社側から中山栄造主宰のほか 今田述、小畑節朗の三名。

 新声詩社を知ったのは去年の秋のこと。私がモルディブ訪問の中継地である シンガポールにいたときのことである。張先生から龍珠軒酒家に招待されご馳 走になり、会員の作品集をたくさん頂いて帰った。

 葛飾吟社の中山主宰から、ぜひ一回シンガポールを訪れて交流を図ろうとの 提案があり、それでは今回はこちらでお返しの宴を催そうということになった のである。それには龍珠軒酒家に頼むのが最も間違いがない。再三ファックス や電話で日本から連絡し、やっと主人の張兼嘉氏が電話口につかまった。

 「お、イマダさん。ウェルカム・ユー。張先生セッド・オーケー。ウィー・ アー・シ  ックス。アー・ユー・フォア? トータル・アバウト・テン。エブ リシング・イズ・  オーケー」
と日本語まじりのシングリッシュ(シンガポール英語)の元気な返事を貰えた ので、四月六日出発することとなった。
 龍珠軒酒家は高島屋がメイン・テナントとなっている Ngee Ann City の五 階にあり張兼嘉氏および林芳鳳女史が経営している。この夫婦は台湾の出身で 子供の頃覚えた日本語も多少話せる。林芳鳳さんは理知的な美女であり、また 勝れた詩人でもある。新声詩社の詩集『寰球詩声』の中にこんな詩があった。

   雅韻新声観後感                林 芳鳳
 移風易俗楽為善、  風を移りて俗(なら)ひ易く 楽は善を為し、
 譜曲吟詩出谷鴬。  曲を譜(しる)し詩を吟ず 谷を出でし鴬。
 雄韻新声舒脈絡、  雄韻 新声 脈絡を舒(の)べ、
 宋詞唐律蕩真情。  宋詞 唐律 真情を蕩(うごか)す。
 欣聞漢粋揚獅島、  欣び聞く 漢粋 獅島に揚がり、
 喜見詩花火海城。  喜び見る 詩花 海城に火(も)ゆ。
 天地和声敦四海、  天地 声を和して 四海を敦(とうと)び、
 人心世道永光明。  人心 世道 光明を永くす。

 私も曾てインドネシアに三年勤務したとき、インドネシアの歌謡・民謡を覚 えて異風に馴染んだ記憶があるが、たしかに楽(音楽)や詩には国境がない。 この詩はおそらく手に手を携えて台湾を出た二人の労苦を、詩詞が救ってくれ たこと、そして獅島(シンガポールの意。マレー語でシンガは獅子、プーラは 島を意味する)で新声詩社と出会った喜びを歌ったものであろう。詩さえあれ ば四海どこへ行っても光明を見つけられるのである。中国人は世界中に居住し 各地で詩会を持っているからだ。

 シンガポールへ着いた晩グッドウッド・パーク・ホテルにチェックインを済 ませると三人で龍珠軒酒家を訪れた。私は半年ぶりで張・林夫妻に再会。明日 の宴席の予算の打ち合せを済ませた。

 翌日夕方旅行社手配の通訳がロビーへ来たが、目的を話すと目を白黒するば かり。結局大枚二万四千円で雇ったこの通訳は一食分のご馳走にありついただ けで何の役にも立たなかった。六時半会場へ行く。張済川氏に中山・小畑両氏 を紹介、前回のご好意を謝す。会の進行はレストランの張兼嘉・林芳鳳ご夫妻 が仕切ってくれた。張兼嘉さんが日本人三人の詩を選んで朗読してくれた。中 山主宰と私の詩はいずれも、前回張先生から頂いた『贈日本詩人』に対する次 韻の七律。小畑氏の作品からは『満々紅』。これは大合唱となった。

 ついでこの夜のアレンジに感謝して、林芳鳳女史の先の詩に次韻(韻字を同 じくして詠む詩)した詩を呈上した。

   次韻林芳鳳女士雅韻新声七律          今田 述
 珊瑚暖島易慈蘭、  珊瑚の暖島 蘭を慈むは易すく、
 錫土深林難聞鴬。  錫土の深林 鴬を聞くは難し。
 日日応求真物化、  日々 応に求む 真の物化、
 時時不忘秘詩情。  時々 忘れず 秘めたる詩情。
 紅裙倣力扶高士、  紅裙 力を倣(な)して 高士を扶け、
 青志営餐築雄城。  青志 餐を営みて 雄城を築く。
 両地騒人今宴集、  両地の騒人 今 宴げ集い
 龍珠美禄百花明。  龍珠の美禄 百花明らかなり。

韻字は鴬、情、城、明。起句はもともと踏落としになっている。物化とは四季 の変化だが、シンガポールのような熱帯で詩情を保つのは努力を要しよう。騒 人とは詩人のことだが、この夜の詩人は文字通り騒人であった。美禄とは酒の ことだが、この夜高級老酒を特別価格で提供してくれたのであった。

 この詩を旦那の張兼嘉氏が読みおわるとやんやの喝采となった。林女史は余 程嬉しかったらしく何度もお礼の言葉を発し、今後もシンガポールへ来たら必 ず声をかけるように云われた。この日集まった新声詩社のメンバーは皆なかな かの人物で、羅育祥先生はオーチャードのラッキー・プラザにクリニックを持 つ循環器専門医だ。ロンドンに十五年いたそうである。

 当日張済川先生から頂いた詩は次のようなものであった。

  歓迎日本葛飾吟社
  中山栄造今田述諸詩家莅新訪問交流        張 済川
 遥従瀛海下星洲、  遥か瀛海従(よ)り 星洲に下り、
 千里良朋此壮遊。  千里の良朋 此に壮遊す。
 葛飾群賢聨大雅、  葛飾の群賢 大雅を聯ね、
 新声諸侶接詩儔。  新声の諸侶 詩儔に接す。
 和平漢学開生面、  和平の漢学 生面を開き、
 振盪唐音試遠猷。  振盪の唐音 遠猷を試す。
 欲共全球伝至誼、  共に全球に至誼を伝ふるを欲し、
 青山有約嘯神州。  青山約有りて 神州に嘯く。

 瀛海は大海の意だが日本のことを瀛州とも云う。星洲は元来星が輝く洲の意 だが、これもここではシンガポールを意味する。シンガポールを表す漢語は多 い。普通は新加坡と書くが詩語としては先の獅島もある。又「新(xin)」と同じ音の「星(xing)」を使い星洲(州)とも云う。

 詩儔とは詩の友達の意味だ。振 盪は揺り動かす意。遠猷は遠いはかりごとの意。最後の「共に全球に至誼を伝 ふるを欲し」というのは如何にも本国を離れた華人の発想である。青山すなわ ち中国本土とは約束事があるのだから、本国(神州)へ向かって詩を詠うとい うのだろう。

 青山とは曾て海南島に流された蘇東坡が老いて本州に渡るとき、 横たわる山を遥かに見て「青山一髪是中原」と詠んだのを踏まえているのであ ろう。そう云えば張済川先生は号を「神州客」という。中国潮州の生まれで若 くしてマレーシアへ移った経歴をもつ。しかし神州から客しているという思い は今も変わらないらしい。

 日本人の場合はもちろん立場が違う。しかし中国詩を詠むことによりシンガ ポール人と交誼が結べるというのは有り難い。文字を持たず中国から漢字を輸 入した祖先の労苦に感謝すべきだろう。中国語は発音が多いから歳を取ってか ら勉強するのは難しいが、詩を学ぶのはさして難しくない。ちょっと身につけ るだけで人類の四分の一を占め、世界の隅々まで居住する華人と交際ができ甚 だ便利なのである。(二○○○年四月十日)

 この交流会は企画から実行まで、殆どを今田莵庵氏のお骨折りによって実現した。