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話題5 | ■文章表現についての一考察 芋川冬扇 2009/2/9(月)20:08 | 返事 / 削除 |
「文章表現についての一考察」 芋川冬扇 自分ではよく意味が通じると思っている表現が正確に他人に伝わらないことがあります。 漢詩を作る上では、単純な構文であれば誤解を避けることができますが、その原因を別の視点から分析してみます。 私たちが知識を交換するために行なっていることは、私たちが見たり、音を聞いたり感知したことの報告です。 例えば「道の両側には溝がある。」「高橋店に行けばそれが500円で買える。」など。 ここで重要なことは、報告は次の規則に従う必要があることです。 1.それが実証可能でなければならない。 2.できるだけ「推論」と「断定」を排除しなければならない。 1について:誰もが自分の定式化を理解し同意するような仕方で述べることが必要であるということです。報告は実証可能ですが、常にその報告を自分で実証するわけにはいきません。歴史上の出来事の証拠をいちいち行って見て確かめるわけにはいかないし、衝突現場がとりかたづけられる前に新宿まで出かけて行くわけにもいきません。 しかし私たちは驚くほどの程度でお互いの報告を信頼し合っています。文化の違いを超えることもできます。 2について:日常生活で推論が大切でないというわけではありません。 ここでいう「推論」とは知られていることを基礎に知られていないことについてなされる叙述のことです。 ○ 推論された報告の例 ア.「彼は怒っている。」 イ.「彼は自分のことばかり思っている。」 ウ.「彼は女を恐れている。」 ○推論が排除された報告 ア.「彼はテーブルを拳で叩いた。彼は速記者に電話帳を投げつけた。」 イ.「彼は会社ではめったに下の者に口をきかない。」 ウ.「彼とあるパーティで会ったが、彼はただ一度女から申し込まれて踊った以外には踊らなかった。」 ここで言う「断定」とは、書き手がのべている出来事、事物について自分の好ききらいを言い表すことです。 ○断定された報告 ア.「それは素敵な自動車だった。」 イ.「太郎は私たちにウソをついた。」 ○断定が排除された報告 ア.「それは5万キロも走ったが一度も修繕をしたことがない。」 イ.「太郎は自分の自動車のカギを持って来なかったと言った。けれど2,3分後、ポケットからハンカチを出した時、自動車のカギの束がころがり落ちた。」 こうしたことで誤解を避けることもできるし、あたかも読者が経験しているような表現が可能になるのではないでしょうか。 言うまでも無く詩の創作は自分の思い、訴えたいことを述べることであって景物の描写は状況の描写は手段です。 *参考文献 「思想と行動における言語」 S.I.ハヤカワ 著 ( / ) |
投稿2 | ■何を述べるか? 中山逍雀 2015/3/2(月)12:02 | 返事 / 削除 |
詩詞を作る目的は何か?と訪ねられると殆どの“ひと”は、自己の懐を述べる!と答えます。 自己の懐を述べることに間違いはないのだが、押し入れの中で、一人でボソボソ言っても仕方があるまい。 かといって、言い聞かせる態度では、女房や子供でも、聞いては呉れまい。 ましてや、他人なら誰もきいては呉れない! 喜んで興味深く聞いてくれるように話す! 漢詩詞指導者の文面を読むと、「立派なことを述べなければならない」と書かれている。幾ら立派なことを述べても、「女房子供」でも聞いてくれるとは限らない。ましてや、他人は義理では聞いてくれるが、真面目に聞いてくれるとは限らない。 先ず相手との共通点を土台にして、その土台の上に自分の思いを載せる方法が遣りやすい。 また話しましょう ( / ) |
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