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平成10年の記事
 H10-2/12
 
 漢詩作品を寄せる人は中國ばかりとは限らない。漢字を使う民族は世界各国におり華僑という名の下に活躍している。
 今回はフランスから寄せられた作品を紹介しよう。
 
寄詞調菩薩蛮 八十八米寿唱詞抒懐 法國 薜理茂
 
歴盡劫波真箇老,黄昏猶有青山暁。皓首話蒼桑,酸甜兩未忘。
暗香従雪魄,春羣芳和。馬歯恰添寿,乗風立上游。
 
法國..フランスの中國書き、ちなみにアメリカは美国、日本は日本、二ユーヨークは紐約
菩薩蛮.中國定型詩歌には概ね「詩」と「詞」が有る。日本では「詞」は知る人は少ないが、詞の定型の一名称。
皓首..白い首とは老人の意
蒼桑..李商隠之詩「人間桑海朝朝変」「桑蒼之変」時代の変遷を謂う
馬歯..年齢を謂う。馬の歯は二年に二本ずつ生えてくるので歯の数を数えれば年齢が判る。余談だが片側八本で終わりだから八歳までは数えられるがそれ以上は判らない。何歳になっても八歳と云う事から「馬喰八歳」と言う言葉がある。馬齢とも謂う。
簡訳..歴史を乗り越えた一人の老人,もう年寄りだけど気持ちは未だ若いよ。白髪首に時代の変遷を話し,良い時も辛い時も両方とも未だ忘れては居ない。
    ほのかな香りは梅の花から,うららかな春。年齢ももう寿,この春風のように遊びに出ようや。
H10-3/14
 今回は地元の人の作品を紹介しよう。
 3月の13日に有名な小説家、陳舜臣先生の書道展と講演会が東京有楽町で行われ、今田氏は書展の作品に次韻して、陳舜臣先生に贈った。
 詩歌に対して詩歌を贈るとは、何と高尚な醍醐味では無かろうか。
 然し、次韻作品はとても難しく、@リズムを同じにする(韻文字を同じにする)A内容を合わせるB前作に引けを取らない、の決まりがあるので、まともな作品で対応出来る人は日本には少ないが、氏の作品は十分に評価出来る。先ず陳舜臣先生の作品を紹介しよう。
情多材薄乏奇功,結夢寄生不作叢。怕看山間新暦日,嗟嘆呉下旧阿蒙。
徒繙雑籍三千巻,寧舐春酸一点紅。褒貶等閑風雪度,随縁六甲護花翁。
 情熱は有るのだが才能が追いつかず、思いはつのる。年が改まっても自分の馬鹿さ加減が嘆かわしい。沢山の本を読み、その中から気に入った一点を見つけだす。誉められたり貶されたり幾度と無く風雪をくぐり抜け、六甲山の花咲かじいさんだよ。
 其れに答えた今田述氏の作品
恭次韻陳舜臣先生迎春七律   市内常盤平 今田述
陳堂小説豈微功,麗筆通神玉一叢。十八繙書傳史略,三千閲巻導羣蒙。
騒人夙索依然緑,衆庶今知爛漫紅。六甲山中饒物化,望雲郁郁舜臣翁。
 陳先生の小説が大した事が無いなんてとんでもないです。先生の筆端は心に通じ宝石箱の様です。十八史略を繙いて史略を世に伝え、三千巻の本を讀んで凡人を導いて呉れて居るではないですか。詩人は若々しい力強さを求め、庶民は其の爛漫たる功績を知っています。六甲山でも時物が移り変わりますけれど、遥か彼方を望みゆったりとお過ごしの先生が居られます。
 
H10-4/1
 今回は中国人との詩歌の応酬作品を挙げてみよう。
 日本でも古代詩歌の応酬の逸話は数知れず。文人と文人の交流の精華と云うべきか。
          
春帰(春風曲)      江蘇省 魏雲錦
春風萬里問桃花,欲点千枝迎早霞。
燕子c喃剪嫩柳,烟村不識誰人家。
 
 題に春風の曲と云うように、長閑な春の景色を詠っている。
 烟ぶる村に有るのは誰の家だろう。
次韻魏雲錦先生玉韻    日本千葉 中山榮造
晴村習習發黄花,粉蝶飛飛隠翠霞。
私欲與誰催小宴,踏青携酒到君家。
 
晴れた村には春風が吹き、黄色い花が咲いている。
蝶は飛び回って、翠の陰に隠れる。
この春の景に誘われて誰かと小宴を催したいものだ,
春の野道を(青草を踏んで)酒を持って君の家に行こう。
魏雲錦先生の詩では、誰の家か知らないと言って居る。
選者は、其れは君の家で、酒を携えて君の処へ行きたいものだと。
 日本人の作品は、往々にして前作との互換性に乏しい作品があるが、此の作品は会話の様になっている。
 難しい内容を難しい言葉で表現するのが漢詩思って居る人が居るが、日本の俳句短歌と同じ感覚で作ることが肝要。
H10-5/9
 今回は中國から寄せられた新短詩を紹介しよう。
 小生が提案した新短詩はこの頃中國の詩集にも詩歌の一体として掲載されるようになった。
 著者の彭能盛氏は湖南省出身56歳の共産党幹部であり文化人でもある。曄歌は俳句対応で季節に係わり有る言葉が用いられており、日本詩歌の感覚で文字面を讀み、大方の意味が解れば其れでよい。
偲歌二首録一  武漢  黎 凌雲
凝望西天,峨眉仙山,清音学奏,紀良寛。
注  峨眉山麓の橋杭が、新潟に流れ着いた話を聞いた良寛和尚が、思  いを寄せて詩を作ったと云う逸話がある。近年日本の仏教団体と文  化交流団体が峨眉山の麓に良寛和尚の碑を作り、寒村が現在では観  光地となっている。
 
偲歌二首録一  大阪  蔡 艶雲
華夏深秋,京城相會。把盞談歌,瀟洒行。
 
瀛歌四首録一  西安  李 歩雲
詩花綻,濃情一片。来復往,真摯友情,浸透紅箋。
 
瀛歌四首録一  江蘇  王 同書
勇向前。冬天過后,必春天。峰巓雪濃,砌畔花艶。
 
 漢字書家諸氏にご提案!
 漢字書家の皆さんは、中國古典作品の書作が多い様です。此処に紹介した「漢字文化圏通用詩歌」は、中國中央詩壇で詩歌の定型として認められていますから、ご自分の作品を書作為されますと、書家としての評価に加えて、詩家としての評価も併せて得ることが出来ます。作り方は簡単ですから是非ご活用為されることをお奨めします。
 
H10-7/7
 今回は地元の方で詞の作品を紹介しよう。
 詩と比べたら難しいく、詞の作品は日本人にはとても少ない。
 作者は昨年、中国西安の霍去病(かくきょへい)の墓を訪れた時の印象を詞にした作品で、
弓なりの青い空、遅い蝉も泣きやみ秋の気配忍び寄る頃、墓の山の上に立って遙かに山々を望む。将軍は勇猛だが兵卒は辛かったと聞き及ぶ。墓は故郷の山を形取り、石の牛が墓を守る。想い起こせば遙かな昔。あの精気に満ちた眸は何処に。時は移りゆく。この詞は前段と後段の二段で構成される。
 *1寄八声甘州 題霍去病之墓(かくきょへいのはかにだいす) 日本 小畑節郎
前段  對*1蒼穹陪冢(ばいちょう)荊棘中,一天入新秋。
    聴茂陵玉笛,残蝉啼罷,揚柳牽愁。
    *1渭水(いすい)南山遙望,萬里尚悠々。千古論興廃,蟋蟀(きりぎりす)聲稠。
後段  覇図西征馳馬,*1将少言有勇,士卒餓憂。*1像祁連(きれん)山影,*1守墓石    臥牛。幾悲傷,余哀堪断,萬骨枯,安在*1敢任眸(かんにんのひとみ)。
    秋風客,映斜暉処,人去雲流。
H10-8/5
汨羅來書     日本千葉 王 軍合
汨羅岸邊繋画船,洞庭山頂渡秋雁。讀罷《騒離》欲招魂,只是不敢問蒼天。
 汨羅とは地名、洞庭湖の様子を描き出し、不遇な最期を遂げた屈原を思い起こさせる。
 屈原の詩集騒離(屈原と同門の撰集)を読んで、彼の心に接しようと思うが、ただ青い空を見上げるだけで敢えて問いかけるようなことはしない。
 
無題       日本千葉 王 軍合
閑來無端弄詩筆,欲寫心事渾無題。東海雲翻蒼浪水,西山雨舗紅葉地。
牽手依依尋旧夢,馳足興興登長堤。?得他日帰故京,説尽相思説別離。
 暇なときに何となく?を走らせ、心の内を書こうと想うが書くことが出来ない。
 作者は現在日本にいる中国の青年、彼の地に居るが故郷に残してきた愛する人のことを思い切々と語る。何時かは故郷に帰って、此の離別の切ない気持ちを語り尽くそう。
 作者は現在の状況を述べると同時に、さてと翻って、故郷に帰った日に、今のこの切ない胸の内を語り尽くそう!と仮定を設定して、今を語る手法。 日本人の作品ではこの様な手法には巡り会えない。
 
江蘇省揚州大学師範学院教授 秦子卿
曄歌  春光霽 一年好景 君?記
坤歌  講文明 助人為楽 見眞情
瀛歌  別西洋 雲程渺々 越扶桑 申江着陸 重到故郷
偲歌  情懐眷恋 鴻雁傳箋 萬里同天 ?月圓
H10-910
 漢字が並んで居るだけで恐れ入ってしまう人が多いが、漢字が並んでいても上手とは限らない。上手下手以前の問題がある。作品には「著作権」が有り、これを犯すと侵害になる。昔の作品を真似ても咎められないが、剽窃は恥である。見過ごした人も恥となる。註に借用の趣を記載すれば許されるが、藤井竹外と荻生徂來の作品には、借用したとの断り書きは何処にも見あたらない。独創の詩として発表されている。  吉野懐古   藤井竹外
古陵松柏吼天?,山寺尋春春寂寥。 眉雪老僧時輟掃,落花深処説南朝。
 この詩とそっくり同じ詩が、《唐詩三百首》に収録されている。
安宮 元?    寥落古行宮,宮花寂寞紅。白頭宮女在,闕ソ説玄宗。
 この様に並べられると、素人にも一目瞭然。場所と登場人物を入れ替えただけだ。 寥落と松柏吼天?は同じ状況表現だ。中国の墓陵の習慣まで丸写しだ。古行宮とは行幸の時の仮宮、古陵とは高貴な人の墓。宮花寂寞紅とは春ではあるが寂しい景色。山寺尋春春寂寥も春の寂しい景色、あちらは紅と言い、こちらは春と言う。あちらは白頭宮女なのに此方は眉の白いお坊さん。あちらが説玄宗と言えば此方は説南朝と言う。
 がっかりついでにもう一首紹介しよう。此では余りにも酷すぎる。
西亭春望   賈至
日長風暖柳青々,此雁帰飛入杳冥。岳陽城上聞吹笛,能使春心満洞庭。
 
寄題江州城楼 荻生徂來
一点君山破浪青,千帆如鳥接冥冥。知誰倚酔城楼上,能使雄心満洞庭。   荻生徂來は漢学者として有名な人物だし、藤井竹外は詩家として有名な人物である。この人をして此の有様なのだから、漢詩関係の指導者はよくよく注意しないと恥をかく。
H10-10/10
 今回は趣向を変えて、作品の研討を行ってみよう。四句詩には基本的な構造があるので、それに沿って研討を試みてみよう。
 以下の尺度に当てはめて既存詩歌を再度読み返すならば、その巧拙をつぶさに判定することが出来る。
@村居階砌雨晴時,A紫散紅飛芳草滋。
B枝上猶余花数点,C緑風一陣遂難支。
A 詩は、二句一意で構成され、起句は「,」で、承句は「。」で終わる。 同様に転句は「,」結句は「。」で終わる。点や○を間違えた印刷物を往 々目にするが、これは初歩的な間違いだ。
B @は起句。Aは承句で、起句を補足する。Bは転句で@A句とは異なる 視点を描写する。此処まではどの本にも書いてある。これから先が重要。
C 転句は起句承句と繋がってはいけない。然し離れすぎてもいけない。
D Cは結句で、転句と繋がり、承句とも繋がる。然し転句との繋がりの方 が近い関係にある。
E 結句は詩の締めくくりで、作者の感情に張り付いてはいけない。これは 重要な要件で、これが上手く行かぬと駄作となる。
研討 絶句作例を見ると、程々に纏まっていて欠点は無さそうに見えるが、  全体としてこじんまりと纏まっている印象を受ける。
   その原因は承句と転句が繋がっている事と、一部重複している事にあ  る。其処で此の繋がりを絶つためにA句の紫散紅飛を脚下新泥に入れ替  えれば、承句結句の繋がりが切れて、全体として含みの多い詩となる。
村居階砌雨晴時,脚下新泥芳草滋。枝上猶余花数点,緑風一陣遂難支。
   これは初老に差し掛かった感慨である。身の回りには若い者達が勢い  を付け、幾ら頑張っても時勢には抗しきれないと!
H10-11/8    H10-12/7
 今回は、中国の詩壇が日本との交流のために、日本詩歌に倣って、漢字で五七五と綴った作品を紹介しよう。李芒氏は日本の大学を卒業し、中国でも日本でも著名な文学者である。
 この作品は中日第三回川端文学研究討論会に係わった作品として、過日小生に寄せられた。
按照日本俳句“五七五”日本短歌“五七五七七”的音数、句式格律写作的短詩。
紫丁香(ライラック)     中国社会科学院 北京 李芒
馥郁増春色   馥郁(ふくいく) 春色(しゅんしょく)を増し
繁英却似含悲惻 繁英却(はんえいかえって)って悲惻(ひそく)を含むに似たり
紫霞空漠々   紫霞(しか) 空しく漠々(ばくばく)たり
?艶何須?牡丹 ?艶何(じょうえんなんぞ)ぞ須(もち)いん牡丹に?(くら)べるを
清奇自可邀詩客 清奇自(せいきおのずから)ら詩客を邀(むか)う可し
 
老妻
玉蘭驚曉夢   玉蘭(ぎょくらん)に曉夢(ぎょうむ)を驚(さ)まされ
花似天鵝振羽騰 花は天鵝(はくちょう)の似(ごと)く羽を振い騰(たた)せ
老妻憶妙齢   老妻(ろうさい) 妙齢(みょうれい)を憶(しの)ぶ
 
秋蝉
秋蝉噪樹叢   秋蝉樹叢(しゅうぜんじゅそう)に噪(さわ)ぎ
不思霖雨不思風 霖雨(りんう)を思不(おもわず) 風を思不(おもわず)
唯待一声鐘   唯待(ただま)たん一声の鐘を
*1詞には詞譜と言う楽譜のような決まりがある。八声甘州とは詞譜の名称
*1蒼穹とは広々として空が弓なりに見える状況。陪冢とは家臣の墓。
*1地名
*1将軍は勇猛で知略に優れていたが、兵卒の事をあまり心に留めず、いつも飢えに苦しんでいたと。
*1墓の形状の説明、故郷の山を形取って作られたと
*1墓所の入り口には石で作った大きな牛が祀られていた。
*1精気に満ちあふれた眸
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