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林岫鄭民欽先生招聘

 林 岫女士と鄭 民欽先生を招聘し、先ず成田空港から千葉県成田市成田山先勝寺に立ち寄り、中日書道の連携について、貴賓室で話し合い有り。

 葛飾吟社に到着し、松戸市市長にも臨席を頂き、合同写真を撮る。

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松戸市市長を囲んで記念撮影
葛飾吟社本社会議場

 

葛飾吟社主宰の挨拶。松戸市市長の挨拶・林 岫女士の挨拶

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来日の挨拶
左より林 岫・松戸市市長川井敏久・鄭 民欽

 

一同で来日を祝して乾杯

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乾杯の音頭 今田莵庵氏

 

林 岫女士による詩詞の講義

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漢詩詞講義
點と線と面について

 

宴会には会員に依る琴の伴奏披露

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来日歓迎の宴
会員による琴の伴奏

 

 夕刻、主宰自宅に、林岫女士・鄭民欽先生・今田莵庵氏・詩吟神風流岩淵女史・通訳女史をお招きして、簡単な夕食会を為す。

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中山逍雀主宰の自宅で夕食
夕食後JR柏駅前のホテルにお送りする

 

 明日は、会員高橋香雪女史がホテルまで両氏をお迎えに参じ、電車を乗り継ぎ、成城大学まで同伴する。
 今田莵庵氏が大学側と折衝し、大学講堂於いて、林岫女士の講演を開催した。

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成城大学で講義

 

俳句関係者多数の出席を得て、盛況であった

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成城大学講義風景

 

 講義終了後都内のホテルに投宿し、次の日は上野駅から仙台に向けて東北新幹線で仙台に向かう。

林岫鄭民欽先生訪日随行記

                           今田 述

 かねがね中山先生が希望されていた林岫先生の来日が鄭民欽先生とのセットでやっと実現した。本年一月この企画を立ち上げたとき実現の確信があったわけではなかった。最大の問題は林岫女史に相応しい講演会を開催できるだろうか。今日の日本で中国詩壇の話を聞いてくれる聴衆を集めることが出来るだろうかということだった。幸
い俳文化誌『游星』の尾形仂先生・関忠雄先生のご好意で、その第33回集談会の講師に当ててくださった。

 しかし今だからいうが企画は順調に進行したわけではなかった。中国側の出国ビザをとるために公的機関の招待状が要るという。これは川井敏久松戸市長の協賛を頂くことができた。その後も手続きは複雑な過程を経て、結局最終林岫先生のパスポートが揃ったのは出発直前の六日で、航空券の購入もその日が期限だったという。連絡に
当たってくれた徐一平女史だけが終始「今田さん、大丈夫だよ。必ず来るよ」と激励してくれた。

 そういう状況下でも講演会の通知状発送などは進めざるを得ない。結果として十日の講演会は七十五名の参加者があり、椅子を他の部屋から運ぶほどの盛況であった。しかし『游星』の先生方には申し上げていないが、一時は直前キャンセルの電話を聴衆全員にすることも覚悟したほどであった。

 到着の八日、中山先生と快晴の成田へ。お二人を出迎え顔を見てホッとした。その足で成田山新勝寺へ。八月他界された鶴見照碩前貫首へ鎮魂の書を差し上げたいという林岫女史の意向による。いきなり書道博物館の貴賓室に迎えられ、成田山仏教図書館の大島赳次長から丁重なご挨拶を受けた。窓外池畔の紅葉が美しい。林岫女史はただちに一首を詠み色紙に揮毫された。

   重訪成田書道美術館
   緬懐照碩貫首猊下         林岫
  紅葉依然好,庭園百様幽。
  故人随月去,遠客忽傷秋。

 私はこの美術館は初めてだが林岫先生は三度目だという。玄関ホールに泰山の岸壁に彫られた縦十数メートルにも及ぶ書の拓本が展示されている。昨年斎川先生、中山先生と共に泰山を訪ねたときを思い出す。鶴見前貫首は書道の振興に尽力され、訪中の際は必ず中国書道協会の副会長である林岫女史を訪問されたという。大島氏の先導で一山越えて太子堂へ案内され前貫首のご遺骨に詣でた。終わって山崎照義事務長からご挨拶を受けた。

 柏のホテルにチェックインして中山先生宅に向かう。晩餐には上海出身の袁静芳さんにも同席願った。林岫女史は中山夫人手作りの漬物、芋煮物それに栗の甘露煮を絶賛された。

   中山栄造於家宅招欽与
   鄭民欽,今田述同行     林岫
  嘉木?然隔市塵,四時芳草接東隣。
  菜根清淡何須問,知有温馨雅主人。
    
 翌九日十時に柏で両先生を拾い中山先生の運転で柴又へ向かう。途上富士と筑波が見渡せる快晴だった。帝釈天で参道を楽しみ、寺の彫刻と庭園を参観する。しかし最も女史の目を惹いたのは拝殿脇の瑞龍松であった。

   帝釈天題経寺題瑞龍松       林岫
  古苔斑駁瑞龍松,現出金剛自在容。
  看得千年真一瞬,分香蓮宇坐禅風。

 料亭「川甚」にて川魚料理で昼食。これより葛飾吟社へ向かう。二時より林岫先生の詩詞講義。講義は途中から詩詞の吟唱へと移り、さらに古典式と歌謡式の違いなどとなる。吟社会員として中山、今田、斎川、小畑、石倉、秋山、萩原、三宅、高橋、田村、石塚の十一名が参加。合計二十名ほどが聴講した。午後五時川井敏久松戸市長来臨。教室をあらためて歓迎晩餐会とする。川井市長が市議選挙直前の多忙なスケジュールを調整してお出で頂き、遠来の賓客を労い乾杯の音頭をとられたことは感謝に堪えない。

 翌十日はいよいよメインイベントの游星講演会。朝十時お二人を中山先生、小畑先生、徐一平女史と四人で柏に迎えに行き、千代田線で代々木上原経由成城へ向かう。成城飯店で昼食の後会場へ。葛飾吟社からは中山、今田、斎川、小畑、石倉、秋山、萩原、山田、池田、三宅、高橋、田村、石塚、大沼、門馬の十五名が参加。会場整備
や受付を分担して頂き開会を待つ。講師を関先生や井上緑水氏に紹介する。一時半定刻を一寸過ぎて尾形仂先生が到着。早速講演会に入る。まづ関先生が八月軽い梗塞を起こされたため、私が代役で司会をすることとなった経緯をふくめて、游星と葛飾吟社の双方について説明した。

 講演「華やかに展開している中国現代新短詩」は流石の内容であった。ことに中国の詩の形式は唐宋のものを踏襲することが多かったが、ここへ来て漢俳が出現した経緯を、現地の当事者から聞くわけだが、こんな機会はまず他にない。古典詩詞の名手であり、同時に漢俳の主唱者の一人である林岫女史を講演者に選んだことが、的確で
あったことを再確認した。終了後成城駅前の喫茶店で講師を囲んで座談するのが慣例だが、この所尾形先生も関先生も健康に不安があり、まっすぐ帰られたのは残念であった。しかし国際俳句交流協会の副会長で早稲田大学教授の星野恒彦先生から、「通訳つきで講演を聴くのは現実感が強い。游星の皆様にはよい経験だった。」と貴重な講演へのコメントがあった。

 11日からは一泊旅行。九時東京発の東北新幹線で出発。両先生に随って中山、斎川、小畑、秋山、三宅、高橋、田村、石塚、門馬、今田それに徐一平さんの合計十三名。連日快晴で車窓からは那須連山や安達太郎などの雪山が見えた。仙石線本塩釜で下車、「中長」で昼食後ここに荷物を預けて塩竈神社へ詣でる。坂道を上がると紅葉と菊が美しい。『おくの細道』で名高い和泉三郎の灯籠を説明する。鄭民欽先生は昨年『芭蕉全紀行文』の翻訳を終えたそうで、無論この下りは覚えていて林岫先生に説明していた。塩竈神社は全員気に入ってなかなか下りてくれない。眼下には早くも松島が見えていて、二時の船には乗りたかったのであるが、結局遅れて二時半になって
しまった。

 林岫女史は松島まで五十分の遊覧船の観光を満喫された。船出と同時にうみねこが追従してくる。船内売店で売っているえびせんをつまんで手で挙げていると嘴でさらって行く。これには林岫女史が手を打って喜んだ。松島桟橋に着いて瑞巌寺へ向かう。入口でテレビの撮影をやっている。見るとゲストが黛まどかさんだ。早速林岫女史を紹介する。ジャンルや詩風は異なるが、中国と日本の人気女流短詩人がここで遭遇するのも面白い。

 旅宿のホテルニュー小松好風亭の宴会は盛大だった。今回企画の委員長たる斎川先生のご挨拶に続いて林岫先生から「松島観光は素晴らしい。この旅館の部屋に入ったとたん窓の風景に息を飲んだ」とご挨拶があり、ついで吟を披露された。自称宴会部長の小畑先生が「さんさしぐれ」を歌う。仲居さんも「さんさしぐれ歌える人は地元にも殆ど居なくなりました」と驚いた。さらに秋山先生の「大漁節」が続く。宴終わってロビーへ戻ったところで仏教に詳しい小畑先生が屈強な高僧二人をバーに誘った。何と瑞巌寺の貫首と前貫首であった。「こんな詩は二松学舎でもできないよ」と誉められると、すっかり気をよくした小畑先生は、「何時でも代作しますから」などと調子がいい。高僧から「臨済の座禅にもお出でください」と誘われ、「いやー、臨済宗は厳しいから痛いでしょうな」などと恐縮。翌日蘇州への出張があるため五時にホテルを抜けて東京へ帰って行った。

   小畑旭翠先生説法対瑞巌寺
   貫首于松島新小松飯店。 今田 述
  旭翠先生入酒依,瑞巌寺主対薫微。
  披露説法滔滔弁,忽見佯驚??囲。
  可綴詩中経典意,有求代作仏門威。
  陶然僧偉呈嗟嘆,勿犯俗人香域扉。

 大浴場に入りながら海上の日の出を見る。七時半に朝食。八時四十分小型バスで松島海岸駅へ送ってもらう。駅前の仙台ホテルに荷物を預け、タクシー三台に分乗して片平町の東北大学へ。正門前に予め連絡してあった現代俳句協会宮城支部会員で「陸」同人の浅沼真規子、稲村茂樹両氏が来られた。林岫、鄭民欽両先生を紹介する。大学事務局の女子職員が鍵を持って百年前の階段教室へ向かう。一昨年行ったが中までは見られなかった。ここに魯迅が学んだのは日露戦争が起きた一九〇四年のことである。歴史の重圧がひしひしと迫ってくる。案内の職員の説明によると魯迅は何時も第三列中央に座って受講したという。魯迅の短編『藤野先生の思い出』によると、ここで藤野先生のスライドによる解剖学講義のあとで写された一枚の従軍写真が魯迅をして医学抛擲を決意させたのであった。そこにはロシアのスパイとして捉えられた同胞が銃剣で刺殺されるのを、他の同胞が笑いながら見ているものであった。魯迅はこのとき身体を癒す医学より以前に、精神を改造しなければ祖国の未来はないと気づくのである。

 この日帰ってからこんな詩を詠んだ。

   随行林岫女史再訪
   東北大学魯迅学舎 今田 述
  蔦蘿彩葉百年紅,魯迅学焉求始終。
  奈熄医身随癒国,当今郷客訪心同。

 翌日林岫先生に見せたら「良くできています」といわれた。浅沼、稲村両氏に別れタクシーで瑞宝殿へ。ここは紅葉が見事であった。再度タクシーで市立博物館脇の魯迅胸像と顕彰碑を訪ねる。胸像は「紹興人民公社建之」とあ
る。林岫先生は「これ私の故郷です」と、感慨無量の面もちであった。江沢民夫妻の手植えの櫻樹の前で写真を撮った。このあと青葉山山上から仙台市を俯瞰し仙台ホテルへ戻り中華料理「梅花園」で遅い昼食。三時四十八分発の新幹線で帰京した。

 十三日は名古屋から上京した俳人協会の加藤耕子さんのお招き。大手町の二十三階のレストラン「宴」で皇居前広場を眼下に見ながら昼食会。林岫先生のチョイスで鉄板焼き。ゲストに現代俳句協会副会長の小宅容義氏。それに第一夜一緒だった袁静芳さんも同道。シェフから肉の焼き方の等級を北京語でどういうか質問があった。終わってからも談論風発。最後はパレスホテルの高橋衛常務も加わって、ここでも林岫先生の吟を一曲お願いした。このあと鄭民欽先生は林林先生の意向を帯して日中友好協会会長の平山郁夫氏を鎌倉に訪ねて行かれ、林岫先生は袁静芳さんの案内でお買い物。文房具類の細々したものから、最後は洋服まで買ったらしい。袁さんが「これ中
国製ですよ」といっても「こんないいものは北京にはない」といって買われた由。「これは貴女のためにあるようなものよ」と薦められて「私まで買ってしまいました」と、九時頃袁さんから報告の電話があった。

 十四日、中山先生の運転で成田へお二人を送る。成田でチェックインして四人で饂飩を食べて両先生にお別れした。今回のイベントを支えてくださった皆様に心から感謝申し上げたい。天も味方してとうとう最後までほぼ快晴。雨はついに降らなかった。(2002.11.17)