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中国の定型詩形は何百もある

 前章で李白が破天荒な句を詠んだことを述べました。李白の出自はよく分かりません。四川省の生まれらしいのですが、少数民族説もあるほどです。吉川幸次郎は『新唐詩選』で、「玄宗皇帝の治世のはじめ、世の中が太平であったころには、遊侠の人を友としつつ、揚子江沿岸をあちこち遊びまわっていたらしい。そのうち文才をみとめられて、玄宗皇帝側近の侍従となったが、すぐ他の側近と衝突して、宮中を逐われた。」と解説しています。 李白には絶句、律詩、排律、古詩などのほかに、雑言古詩というジャンルがあります。例えば『城南に戦う』という詩は二十句から成っていて、その冒頭はこう始まります。

  去年戦桑乾源      去年 桑乾源に戦い,
  今年戦葱河道           今年 葱河道に戦う。
  洗兵條支海上波        兵を洗う 條支 海上の波,
  放馬天山雪中草        馬を放つ 天山 雪中の草。
  萬里長征戦 萬里     長く征戦し,
  三軍尽衰老 三軍     尽く衰老す。
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 このように六言七言五言と各句が一定せず変化する形式は、伝統定型詩にくらべて流動的な味わいを感じさせます。こういう形式は唐の滅亡から五代十国時代に入る頃になると盛んに詠まれるようになり、詞(つ)と呼ばれるようになります。唐詩宋詞元曲といわれるように、宋に入ると全盛時代を迎えます。詞の形式は恐らく千近くあるかも知れません。

 一説によると詞は少数民族が中央に持ち込んだ歌謡が、漢民族によって詩歌の形式に生まれ変わったといわれます。だから詞の譜は何百とあります。宋の柳永は今日でも愛唱される詞を二百ほど残していますが、そのうち百五十が異なる自作譜だそうです。李白が唐詩の全盛時代に生を受けているにもかかわらず、敢えてこういう形式を
用いたのは、李白が少数民族の出だからだという説もあるのだそうです。

 文化大革命後の中国では、一九八七年中華詩詞学会が誕生し、詩詞の復活を支援する体制を作りました。詩詞というのが定型詩のことで、詩と詞の二つの大きなジャンルが含まれています。日本で漢詩というのと同じですが、日本ではなぜか伝統的に詩の方だけが試され、詞を好む傾向が殆ど見られませんでした。

 無論詩の方も絶句だけでなく、律詩あり、古詩あり、排律ありと、形式は豊富です。李白には『子夜呉歌』という洒落た春夏秋冬の古詩の四部作があり、秋はことに有名です。

  長安一片月,  長安 一片の月, 
  萬戸擣衣聲。    万戸 衣を擣つの声。
  秋風吹不尽,     秋風 吹きて尽きず,
  総是玉關情。     総て是れ 玉關の情。
  何日平胡虜,     何れの日か 胡虜を平げて,
  良人罷遠征。     良人 遠征を罷めん。