漢詩詞創作講座初心者23 文化交流漢詩詞結社葛飾吟社 TopPage

詩から詞へ

 文化大革命の間は、中国の詩壇は事実上沈黙せざるを得ない状況にありました。文革が終わりを告げ、1987年には中華詩詞学会が設立されました。これは格律詩の復活・普及を助成する政府の機関です。現在各州に下部の詩詞学会があります。この名称から見ても分かるとおり、中国では詩と詞は格律詩の両輪を成しています。とこ
ろが日本における漢詩の歴史を見ると、殆どの関心は詩の方に向けられ、詞への関心は極めて低いといわざるを得ません。

 世に唐詩・宋詞・元曲といわれるように、宋代は詞が全盛を誇りました。手元の成濤著の『宋詞三百首』は『唐詩三百首』とペアになっていますが、日本ではこういう扱いは殆ど見られません。先の『水調歌頭』の例を見ても、蘇軾における詞の存在は作品の大きな部分を示していると考えられます。ところが日本では『蘇東坡詩選』のような十数冊に及ぶ全集が出版されるけれども、詞は収容されていません。吉川幸次郎と小川環樹の編集・校閲に成る中国詩人選集は、わが国の最も勝れた漢詩選集シリーズですが、これとても詞については不当に冷遇しています。

 吉川氏はこのシリーズの『宋詩概説』の中で、詞について僅かに一頁余を割いただけで、こう述べています。「詞の流行は、新奇な現象であるために、近ごろ文学史家の重視を受けている。しかし過度の重視は、はばかられねばならない。詞は又の名を詩余というように、詩の支流であり、小さな抒情に終始するのを、例外として蘇軾の場合、辛棄疾の場合を含みつつも、原則とする。・・・」そして僅かに欧陽修の『踏莎行』一首を挙げただけで、唯一このシリーズで詞を扱った『李U』(村上哲見著)を参照せよとしています。

 その『李U』は李Uの作品39首とそれ以前の作者の51首を収めただけで、肝心の宋の作品に触れていません。そして小川環樹は跋文で「楽曲のメロディーは今ではわからないものが多いから、我々は韻文として鑑賞する外はない・・・・」と陳べています。

 ところが実際は詞のメロディーは相当解読が進んでいるのです。1997年北京で開催された「中山栄造新短詩研討会」のとき、音韻学者の溥雪?氏から頂いた名書『中国古典詩詞曲譜選釈』は、多くの詞の原曲を音符で再現した内容で興味深いものでした。溥雪?さんは何の肩書きも持たない学者ですが曲譜の復元の権威で、彼が発言するときは研討会の居並ぶ学者や詩人が静まりかえって耳を傾けていました。これについては次講で多少お話ししてみたいと思います。

 わが国で中国詩文学の中核を成した先生方が詞の扱いについて冷淡なのには、いくつかの原因があるように思われます。一つはわが国の漢詩漢文が最も盛んだった江戸後期、これを教えたのは昌平黌を始めとする藩校や学塾の儒者たちでした。彼等が四書五経等の書読とともに詩を教えたため、律詩や絶句など形式の整ったものに終始する傾向が強かったとが考えられます。もう一つは詩を読むのに訓読、すなわちいわゆる漢文ヨミを基本とし、中国語音を無視してきたことがあります。中には細井平洲のように、まず第一歩として長崎へ行き中国商人について漢語を三年学んだ人もいますが、これは極めて例外的です。訓読中心で行く以上、詩の入門は厳格な規則踏襲が条件でした。儒家の講師にとって詞のように自由で、形式が何百とあって、しかも歌謡がベースになっているものなど、ふざけた遊びとしか映らなかったかも知れません。

 今日の中国や華僑社会の詩人詞人の世界では、詞を合唱するのはごく普通の酒宴イベントになっています。二年ほど前葛飾吟社のメンバーでシンガポールの詩壇を訪問したとき、酒席で小畑節朗氏の「満江紅」を見つけた一人が歌い出すと、全員がこれに和して歌ったのには驚かされました。詞の交歓がかくも楽しいものであることをしみじみ知らされました。

 

  作詩初心者講座目次
(01)漢字恐怖症。
(02)「漢詩」という語は明治まで無かった。
(03)外国の詩を書く。
(04)詩興こそいのち。
(05)散文と韻文。
(06)中国語の四声が平仄の基本。
(07)詩のパーツは2字と3字から成る。
(08)なぜ七言を書くか。
(09)まず詩語表を使ってみよう。
(10)絶句を作るのは難しい。
(11)現代韻か平水韻か?
(12)中国の定型詩形式は何百もある。
(13)詩は作者の時代を詠むもの。
(14)次韻。
(15)古詩。一韻到底格・換韻格。
(16)擬古。
(17)律詩の成立。
(18)対句。
(19)起承転合。
(20)逆引き字典。
(21)自分の存在と個性。
(22)詞と歌謡の関係。
(23)詩から詞へ。