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東葛市民新聞 平成19年

1月号

平成191

 平成十九年の初頭に当たり、遅ればせながら謹んで年頭の辞を申し上げます。中国は今年が建国五十五年の若い国家です。

 年賀葉書もよく来ますが、クリスマスカードの方が多いようです。キリスト教か?と聞くとそうでもないようです。日本と同じ宗教感覚のようです。

 漢詩詞は堅いものと言う印象がありますが、そうとも限りません。

羊角對と言いまして、言っていることがマチマチで、其れがまた良いのだという定型も有るのです。

寒窗破壁紅炉下,苦薬高銭黒夜情。

あばら屋で鑪に蹲るのも辛いけど、病気になっても薬が高くては、心は闇だね!

龍争痩虎長臉笑,雨洗残炎節序移。

龍は痩せた虎と争って馬面で笑う,

雨は残暑の暑さを洗い流して季節が移る。

一杯午飯生涯計,百戦英勇絶代功。

庶民は一杯の昼飯の爲に働き、百戦錬磨の英雄は絶代の功績の爲に働く。

千樽濁酒兒曹夢,一夜春情隠士家。

 羊角對は一見して、全くのバラバラの様だけど、何度も読み返すと、どこかに共通するところが発見できます。その共通するところが面白いのです。

 若者には、大酒は身を滅ぼすなどと意見する隠者も、一皮むけば普通の人と大した変わらないじゃないの!

 

19-2/1


2月

 漢詩詞は難しいと言う先入観がありますが、新聞が読めれば誰にでも読めて作れます。

一番易しいと言えば「曄歌」だろう。梅の咲く季節だから

曄歌 「花盆梅。寸地寸水,爲君開。」

 盆栽の梅。少しの土と少しの水、こんなにも厳しい状態だが、貴方のために花を咲かせているの! 貴方の身の回りにも、これ程に思ってくれている人が居るのではないですか?

偲歌 同學賀信,情人面影。鬢霜脳海,欲妖鏡。

 同級生からの年賀状、好きだったあの人の面影、白髪混じりの脳裏には、魔法の鏡よ!私をあの頃の姿に写しておくれ!

偲歌 新春椒酒,老妻淡香。四十餘歳,共有霜。

 新春の屠蘇、妻の淡い化粧の臭い、四十年余りの間に、共白髪に成ったね!

瀛歌 太平民。禿筆無功,歳此新。真実友誼,糊塗清貧。

 平和な世に過ごす私。書き物をしても、何の役にも立たずに新年を迎えました。だけど真実な心で付き合える友人と、その場しのぎの賢人ぶりが有ります。

坤歌 国運昌。狭小院子,一枝香。

 景気はいざなき越えだと言うけれど、私は猫の額ほどの庭で一枝の香りを楽しむような生活です。

新年號。半価廉売,推銷巧。

 新年にはいろいろ創刊号が出ます。創刊号は半値販売!上手い売り方だねー!


19-3/11

3月

 今年は暖冬で、この紙面が出る頃は、恐らく桜の盛も過ぎて仕舞うのだろうか?

 今月は諧謔の作品を紹介しよう。世に賢人と称される竹林の賢とは、竹林の中に入り大いに酒を飲み楽を奏し、清談に耽った賢者達の総称で、阮籍・?康・山濤・向秀・劉伶・阮咸・王戎の七人を指す。時は三世紀半ば、三国時代の末期であった。

 この賢人への讃辞と皮肉とを交えた作品を紹介しよう。

 この作品は遊戯の要素もあって、詩法に叶っている上に、グルグル周りになっています。最後の句「又一年」から最初の句「又一年」に続きます。

  坤歌・残夢似残樽 松戸市 小畑旭水

又一年,以食爲天。竹林賢。

竹林賢。羽化登仙,酒家眠。

酒家眠。一斗百編,不論銭。

不論銭,羽化登仙。喜欲顛。

喜欲顛。以食爲天,又一年。

 

  ちょっとした身の回りのことを詠った作品を紹介しよう。

閑談長。老人交流,病院廊。  松戸市 橋香雪

老妻夫。退去雛孫,話題無。  埼玉 芋川冬扇

憂來坐。宇内騒然,又新年。  東京 田村星舟

新年号。半価廉売,推銷巧。  松戸 中山逍雀

 

 


19-4/1

4月

  涼洲詞 唐 王翰

葡萄美酒夜光杯,欲飲琵琶馬上催。酔臥沙場君莫笑,古来征戦幾人回?

葡萄の美酒、夜光杯,飲まんと欲すれば琵琶馬上に催す。

酔うて沙場に臥すに、君笑う莫れ,古来征戦幾人か回る?

 この作品は吟詠家などに良く知られた作品である。

 旨い葡萄酒と綺麗な坏,飲もうとすると、直ぐにも琵琶で出陣を急かされる。

 酔い潰れたい俺の気持ちを解って呉れよ!昔から戦に駆り出されるけど、その中の幾人が生きて故郷に帰れたのかな?

 

 戦に駆り出された戦士の辛い胸の内を詠った作品である。旨い葡萄酒を飲んで琵琶を弾いてなどと、悠長な作品ではない。日本人に間違えさせる語彙は、琵琶と馬上催の二つのようだ。

 琵琶とは楽器としての琵琶を言うのではなく、分かり易く言えば大東亜戦争当時の進軍喇叭と同じ用途の鳴り物である。今の琵琶のように哀愁に満ちた楽器ではなく、甲高い音がしたと言われている。

 

 馬上とは馬の上ではなく、立刻と同じ意味で、直ぐにと謂う意味である。馬から下りる暇もなく・・・・で有る。催は「もよおす」ではなく「うながす」である。

 依って、飲もうとすると、直ぐに琵琶で出陣をせかされる!と成る。

 たった五字の読み方の相違で、内容は随分と変わってしまう。

 


19-5/3

5月

 今回は漢詩詞から少し方向を変えて話してみましょう。 いま私の手許に、※清国の黄遵憲(コウジュンケン)が著した「日本雑事詩」と言う詩集があります。(平凡社出版昭和四十八年版東洋文庫)の一冊です。

 作品は天地開闢から始まって豊臣秀吉、税金、法事、学校、法華宗、神道、婦人、義太夫、家庭、夏休み、浴場、武士、茶道、履き物、七宝焼き、など日本のあらゆる分野に亘り、概ね二百首におよびます。

 黄遵憲の序文に清国光緒五年(1880年,明治11年)の春に脱稿したと書かれています。その年は、大久保利通が暗殺され、吉田茂と与謝野晶子が生まれた年です。

藝妓
手抱三絃上画楼,低聲拝手謝纒頭。朝朝歌舞春風裏,祗説歓娯不説愁。

 手に三味線を抱いてお座敷に上がり、低い声で挨拶をする。毎日歌い踊りして、楽しい話をするけれど、自分の愁いは口に出さない。

 この様に外国人の目で見た日本の姿を、有りの儘に、手に取るように書かれています。今でもこの詩集を読むと、他の書物には書かれていないことが沢山書かれています。

※現在の中華人民共和国(簡略に中国と謂います)は多民族国家で、数千年に亘って離合集散を繰り返し、近くは、モンゴル族の元王朝、漢民族の明王朝、満州族の清王朝、そして現在の漢民族の中華人民共和国(簡略に中国と謂います)へと繋がっています。

 民族が違うと謂うことは、文字も言葉も文化も違うと謂うことです。

 日本は大和民族の建国2617年の単一民族国家です。中国は四千年と謂いますが、実は漢民族の建国五八年の若い国家です。

 その事は、歴史認識として重要なことです。

 


19-6/8

6月

 「漢俳」と言う定型があります。すこし日本俳句に似た雰囲気です。

 中國長沙市「漢俳詩人」主編 段楽三先生の作品を紹介しましょう

  村姑傍晩運肥二首   村娘は夕方肥料を運ぶ(題です)

単車駄化肥  一輪車に肥料を積んで

村姑頭髪満顔飛   村娘の髪は満面に飛ぶ

霜風緊緊追  寒風が迫ってくる

  又

西山染暮灰     西の山は灰色に暮れ

彎彎黒ュ三分怕   弓なりの山の峰が三つ

?車快快歸   よろけた車は早く早く歸る

 

  多依河放排(河に筏を浮かべて老若男女の宴会です)

清藤編竹排     青竹を藤で編んで並べ

笑問春風幾點來   笑って春風はどれ程!

?動碼頭開 竿を動かして岸から離れる

 

風水嬉平台 風も水も筏の床で嬉しく

歌声笑語岸花開 歌声笑い声岸の花は開く

潮頭迎面來 潮風は顔に吹く

 


19-7/10

7月

 今回は先月に引き続き「漢俳」に付いて話しましょう。

 漢俳は二十年ほど前に中國で誕生して、二十年掛けて徐々に広まって来ました。一昨年の四月に漢俳専門の詩壇として「中國漢俳学会」が設立されました。

 漢俳の「俳」の文字は、日本の俳句を意識して付けた定型名称ですから、日本の俳句四団体を招待して、華々しく設立祝賀式典が挙行されました。私は俳句団体に加盟していませんが式典に招待されました。そこで中国側が日本の俳句四団体に期待する意気込みを目の当たりにしました。

 漢俳は漢詩詞壇が扱う漢詩詞のような難しさはなく、俳句の指導者なら即座に対応できます。然し乍ら既に二年も経つのに、俳壇が漢俳の講習会開いたとの話も聞いておりません。インターネットで捜しても、俳句愛好者で漢俳をたしなむ人は、未だに余り見受けられません。

 中国側からの働きかけは有るのに、その受け皿さえもありません。私の處にも、日本には「漢俳」の受け皿がないのか!と、催促されたりもします。

 漢詩詞壇からすれば、漢俳は安易ですから、敢えて漢俳を云々する事は無かったのですが、受け皿のないことの不備は否めません。

 依ってこのたび、私は「日本漢俳学会」を設立しました。未だ準備の途中ですが、インターネットで公開していますので、是非ご活用下さい。何れご要望が有れば講習会を開いたり、講師を承る事も致す計画です。

アドレスは http://www.kanpai.cc です。画面の上からメールも出せます。


閉刊のご挨拶

 東葛市民新聞は松戸市民新聞の後を受けて、柏市・流山市・松戸市に配布されていましたが、時勢に抗しきれずこのたび廃刊のやむなきに至りました。

 葛飾吟社は社主のご厚情に甘んじ、漢詩詞記事を掲載させて頂いておりました。

 茲に東葛市民新聞を支えておられた諸賢に対し万重の謝辞を申し上げます。

 今までの長きご厚情に感謝申し上げます。

  平成19年8月1日
              葛飾吟社 主宰 中山逍雀 頓首